人生初の舞台出演を終えて。

こんにちは!
三浦タカ、サマータイムです!


サマータイムと言えば、ミスター・サマータイムという楽曲で大ヒットした、
日本のコーラスグループ、サーカスさんと、 上京をしてすぐに
ご一緒させていただいた経験がとても良い経験です!


日本のコーラス、アカペラシーンにおいては知らない人はいないであろう、


インスピさん主催の元、
ラグフェアーさん
ボニージャックスさん
トライトーンさん
ベイビーブーさん
Ajiさん
ダイナマイトしゃかりきサ〜カスさん
等、、、


早々たる方々とご一緒させていただいたのは、
若き日の僕にはいい思い出です。


そんな中でもサーカスさんは
夜もヒッパレにずっと出てたりと、テレビの印象もあり、
僕や少し上の世代には一般的にも広く知られたグループじゃないでしょうか?


お元気かなぁ


と、サマータイムから話が広がりましたが、
それもまたblogのいいところ!


本当に暑い日が続いておりますが体調はいかがでしょうか?
冷房で体調を壊す人も増えていますから、
乾燥だとか気をつけなくては行けない時期ですね。


先日、 舞台『レミゼラブル〜惨めなる人々』の出演を終えました。


役は写真の二つ。


ミネットのボス




原作にはあるけど、映画ではカットされていた、集団のボス役


そして、もう一つの写真の、宿屋に通う酔っ払いの役
(写真は途中に入れます!)


この二役をいただきました!

人生初の舞台、『演技』と言うもの自体、初だったわけですが、
初めてだからというのもあり、とても楽めたと思ってます!


もちろん、大変なこともありましたが、それは演技というよりか、
稽古での、ちょっとした、動きとか、セリフを言うタイミングとか
そういうのは難しかったですが、
基本的には楽しかった思い出になってます!




ステージでなにをするか


振り返ると音楽を始めたきっかけは、
中学の先生に『お前の実家音楽教室なんだから、ステージで歌え』
と言われたのが最初でした。


別に将来音楽をとかも考えてなかったし、好きなアーティストは野猿でしたから。
コメディアンが音楽をやるのは好きでしたね。
エンタメとして見る音楽は好きだけど、
アーティストの方々に憧れたって言う感覚はなかったのかもなぁと感じます。


演技の経験で言うと小学校の学習発表会くらいで、
演劇部に入ろうなんて思うこともなかったし、
吹奏楽部に入ろうなんてこともなかったのです。


しかし結果的には、その中学での学祭の経験が大きく、
高校でも仲間達とアカペラグループを組んで地元のYAMAHA主催の音楽バンドコンテストで優勝したり、札幌のいろんなお祭りステージに出させてもらったり、
露出してライブする活動が楽しくて、高校の終わりくらいから、
本気でプロでやりたいなぁなんて思い、音楽の専門学校に行きました。


そして、テレビでやってたハモネプにエントリーしたら、
755組の中で優勝して契約してプロになって、全国ツアーして、みたいな、
ざっくりそんなキャリアなんですがね、


ですので、、、なんだろ、、、

たまたま音楽だったと言うだけなんですけど、


今回ステージで演技をするオーディションの話をいただき、
なんでもトライする30代でありたかったのですが、
DECOの僕の生徒さんのことを考えると本当に悩みました。

他の先生にも相談しながら、何度もやっぱり出るのをやめようとも考えたのですが、最後は、名のある役者の方々とプロの現場で、
演技素人の僕がお仕事として演技をするなんて、 そんな機会はそうにない。
そう思い、生徒さんにも相談をしたところ、
生徒さんも殆どの方が前向きに、「チャレンジしてみて欲しい」と言ってくれたり、
その中でも、「なんでもトライする先生であり続けて欲しい、経験をもって伝えて
欲しい」という言葉に背中を押していただき、 出演決断したわけでございます。


たまたま音楽だった人生。

ステージでこの歳になって『歌う』ではなく、
『演技して台詞を言う』

『ほほう〜』

と言う感じでした。





舞台演技と音楽アートライブ


『ほほう〜』
というのはどんな感情かと言うと

僕がデビューした20代前半の頃を思い出したと言う感じです。
今考えると、若き日のプロになりたてのピュアな僕は、
歌の中で演技をしていた、というか、
その楽曲を歌詞を伝えたい!!と、それはそれは真っ直ぐに悩んで、
音を楽しむというよりは、伝えることに必死な時代でした。

なんとなく、歌詞の世界の中に自分をハメて、
必死に歌ってたように思います。


でもいつからかなぁ、
結果論ですが、それをしてない今があります。


どこの時点からかはわからないですが、
音を楽しむ方に進み、伝えようと必死に自分を演じるようなことを
しなくなっていたように思うんですよね。


なんでだろうと今考えたんです。


今の答えですけどね


『歌が上手くなったから』
なんだと思うんです。


あの頃の歌はぼくの中で表現のアプローチ、技量は一つしかなくて、
しっかり歌詞が聞こえるように、大きな声、いい声で歌うという基本。
それだけだったように思います。


しかし、何年、
足し算より引き算がむしろ伝わる


そんな美学を知ってから

赤ちゃんを起こさないように歌う、を覚えたりもしました。
お母さんは赤ちゃんに、『ねんねんコロリ』と、
子守唄をチェストボイスでは歌いません。
囁くように優しく歌う。

そこには温度感があるわけですから、
なにも、伝えようとするものだけがアッタカイ歌ではないわけです。
とかね。


他にも、
リズムの深さ、ダウンばかりじゃなく、アップビートの解釈とか、
グルービーな音楽のエモさとか


音楽を知れば知るほど、まさに『言葉じゃない』
むしろ、『言葉にするとスケールが小さくなってしまう』

そんな世界線を感じれば感じるほど
年々、表現も増えて、ナチュラルに、音を楽しむ音楽を心がけるようになり、
あの頃の演じる自分がいなくなっていたような気がします。


結論、
ボイトレにきたばかりの生徒さんも、割と多くの人が、
歌に必要な事は、伝わること、と言ってくれる人が少なくないと感じます。

ということはやはり、
伝える、伝わる歌というのはあるんだと思います。

それぞれ感動してる音楽は違い好みも様々。
話を聞くと、その人の声や人となりに引き込まれてたり、
そのアーティストの作品に引き込まれてたり
伝えようとしてる歌が伝わってるのかはわかりませんが
伝わってると感じてるのがリスナーさんだということは確かで、


もしかすると
僕は玄人にわかるもので、素人には分かりにくい世界線を歩いてるのかも知れません。 という気づきも、一ついただきました。


これに関しての議論も二つあって
売れるものと残るものにも繋がるような気がしていたりとか。

例えば売れたいなら、ほとんどの国民は、音楽家ではないわけで、
音楽家をプロ、それ以外を素人というなら、素人が多いわけで、
素人に伝わらないと意味ない!!!
みたいな考え方も一つ。


対して
山下達郎さんの音楽は玄人受けだと思っていて


でもこれは音楽シーンにおいては、必要であるし、
音楽家が興奮する音楽をする価値は、
結局、残ると思ったりもします!


なんだかんだ音楽も進化し続けるシーンにおいて、
『本物』みたいな言い方されますが、
結構本物が出てくる時代にもなってきたようなそんな気もしております。


結論のような話にはなりませんでしたが、
結局、いいものはいい。
本物思考も大切みたいな結論に強引にしました。


しかし、見落としてるの何かも、あるのかもしれないと
舞台が教えてくれたような気がしてます!


舞台が偽物という話ではなく、
演技を必死に考えて伝えようとする姿は、
もしかすると、音楽界にはなくていいもののようで、
あったほうがいいものなのかもしれないなぁ、と思ったという話でした。


いいものはいい。
美味しいものは美味しい。
人間綺麗な景色には癒される。


そんなこんなでいい歌を歌いましょう。


に対して
(対するんかーい)


まとまり綺麗でよかったやんけー


でもそうじゃない答えも存在するから楽しいじゃないかという現実です。


泥臭いものも美しい
ドブネズミになりたいじゃないけれど、
時々、臭いものが食べたくなる時もあるじゃないですか

ニンニク?とか
燻製?!とか


人間綺麗ばかりでも飽きるんですよね。

いろんな日々があって、
悲しみも痛みも知って

綺麗な世界に癒されるんです


ワガママなもんですよね。ほんまに。


いろんな感情といろんな表現の中で、
みんなが選んだその時の答えを大切に歩く道であってほしいと思うものでした。


さて、僕はどんな人生になっていくのか?


改めて、先生活動も復活、
楽しんでみんなと成長していけたらと思っております!