照屋政雄さんとの思い出

第二回、ボイスコースや、
できることなら何でもやりたい三浦タカです。
プロフィールは第一回のブログでだいぶ長く語らせていただいたので
端折りさせていただきつつ

改めて、
現在も、自分自身ソングライトしながら、ライブ活動し続けてる僕ですが、

今日は沖縄の歴史や文化、それとエンタメ、
音楽についてなんて話をしてみようかと思います!

なんで、札幌出身の僕が沖縄の話?!と

はい、沖縄からお送りするブログだからですw
ハイサイ。

沖縄の結婚式について

この度、結婚式のゲスト出演ということで、呼んでいただき、仲間と
演奏してきたわけですが、

リクエストの沖縄の名曲や
僕のオリジナル曲Weddingの曲を歌ってきたりしたわけです。
大変好評で、嬉し、楽しい時間となりました!

新郎新婦からも
『みんなの心を掴んでくれて会場を一つにしてくれましたね』
とお言葉もらえて、とっても嬉しかったです。
もっと言って欲しいです。
みんなを虜にしてしまいすいませんってなんて、図々しく思ってませんからね!
いやはや、イヤササです。

というか、イヤササって言ったら、みんな元気にハイヤーって言ってくれるんで、気持ちよくて

10回くらい曲中それやりましたねw
沖縄バンザイ。

沖縄の結婚式は参列者も多いので、
沢山のお客さんとのレスポンスは本当に楽しいですよね!

コロナも落ち着いてきて、元気に声が出せる喜びこれも、バンザイって感じでした。
ライブはこうでなくっちゃ。

さて、沖縄×音楽の話に入っていきますが、
沖縄は音楽文化がとにかく深いと言うか、
元々琉球の国だったわけで、日本人じゃなく、琉球人だったわけです。

国王様がいて、そこには音楽もあって、
その地域に根付いた音というのも存在してたんだと思います。

だからか、ほかの都道府県にはない、
温度感やノリがあって、南の風と共に癒してくれます。
民謡の文化もあるし、戦後はアメリカの文化も入ってきてるわけですから、
さっき言ったようにノリの話もありますが、
一方で歌に厳しかったりする県民性でもあるのです。

上手くなかったら怒られることがあると、
20代そこそこのころ営業ライブで沖縄に来た時は、
クライアントさんに、脅かされたもんです。

でもハマれば必要以上に喜んでくれる町!
ということですね。


沖縄が日本になる前、 琉球音楽、琉球舞踊、食も含めて、
そこにしかないものがきっとたくさんあったことでしょう。

戦後、日本になり、琉球の人たちはある日言われたそうです。
明日から突然日本人だから日本語覚えて喋ろと

キリスト教の踏み絵の時のように、
彼らは彼らの言葉『うちなーグチ』
琉球王国の言葉を使うと大変な目に遭う、
そんな時代もあったようですよ。

と、実は縁あってこの旅で出会った、
沖縄民謡の歌手、照屋政雄さんが教えてくれした。

子供の頃突然、日本語覚えれだなんて
三浦くんは明日から中国語喋ろ!英語喋ろ!
日本語禁止だ!なんて言われたらできるかい?
と言われました。

でもそうしなきゃいけなかった時代があったんだよ。と教えてくれました。

よく考えてみてほしいと。。。

85歳のアーティストさんということで、ヒット曲もある大先輩ですが、
うちなー口を使える、琉球国の人であり、そんなアーティストさんは、
当然、どんどん減っていってるわけでございます。


とても考えさせられましたね。


考えなくてもいいことかもしれないことを考えることもまた、
歌心という所につながってくるように思ってます。歌は心なら、
心はその人となりですからね、
どんな経験もあなたの歌になるということなんでよ。

綺麗事言ってますが、僕なんて無茶苦茶な人間で迷惑ばかりかける、
ある意味昔から問題児の括りの人生でした。
これを恥ずかしいと思って頑張って隠してみたり、普通に生きてみようとしたり今もしてますが、

どうしたって、どうしようもないというか、みんな違ってみんないいみたいな所もあると思うからね

これをみてるみなさんも皆さんらしくあってくれたら嬉しいです。

引き続き、僕に対してもご指導いただける先輩達には感謝しつつ。


三線という楽器の話ですが、
戦後はカンカン三味線といって、その辺に落ちてる飴玉とかの缶を使って、
糸を張り三線を作ったりもしてて、
今回の旅ではそんな博物館的なところに行けたのもよかったなと思ってます。


消えず残り続けてるんです音があります。

僕らはいつかこの命を終えますが、今作る作品たちは一生残り続けるわけです。

国民に愛される作品を産んでいきたいそんなふうに思ってる私でもあります。

自分の気持ちを歌にし音にする、産む活動はとっても楽しいんですねぇ。



カバー曲について


僕は作ることが好きなのでカバー曲は、、

と誰かの歌を自分の物のようにアーティスト気取って歌うのが嫌だった、
ま、あるあるなシンガーだった時期もあるわけですが、

時と共にやっぱり
歌い継がれることの意味を考えれば尚更


先祖達が、
先人達が残した言葉や音は、
なるべく消さぬよう、語り継ぎたいなんて、
そう思うようにもなってきたりしました。

流行りも含めて、きっと、誰も歌い継ぐ事がなく、
消えていってしまった日本の曲もいっぱいあると思うんですよね。

最近は宝探しのように、曲を探したりするのも楽しいですね。

残すこと、そして継ぐこと
これは全部奇跡の連続で、
現代や未来、過去の人々と同じ世界観で喜び共感できるものがあるって
本当に尊いものなんですよね。

今や日本中どこに行っても、沖縄料理屋があって、
料理屋でライブができるなんて環境が許されてるのも、
カラオケスナックか、沖縄料理屋くらいじゃないでしょうか。

横丁のナガシみたいな文化もありますが、

個人的には
ご飯を食べながら沖縄の音楽を聴くのが大好きです。

ぜひ皆さんにも、生の三線や太鼓の演奏を聴いてみてほしいものです。
そして、島酒を片手に、楽しんでもらえたら何より、豊かな引き出しとなるのではないでしょうか


話ば戻しますが、
噂では聞いてましたが沖縄の結婚式は
乾杯の前からみんな呑んでます。
それもまた最高です。

そして式に参加する方々も、
沖縄以外の地域だと、新郎新婦より目立たないようにと、
ほどほどな感じのドレスコードみたいなイメージですが、
沖縄は花を添えようみたいなイメージもあって、
とても明るい格好でくる方が多かったりしますし、
正装な服として、かりゆしウェアと言いまして、
アロハシャツの沖縄バージョンみたいなのを着てたりする人も多くいます。
とてもカジュアルだったりキラキラしてます!


沖縄の結婚式って

ご祝儀の話w
学生は5000円とかで大人は1万円くらいが普通らしいです!
面白いですよね!
ちなみに東京は3万円くらいが平均ですよね!
北海道は会費制で、1.5万円くらいが平均ですかね!

沖縄は親戚の友達とか、近所の方とか、
おばあの友達とか、友達のお母やお父もきたり、
みんなお祭りがしたくて沢山知らない人が来たりするのも特徴で今回も、
300くらいいたような気がします!
300人のコールアンドレスポンスはやっぱりしあわせです😂

そして、ステージがしっかりある会場で、
参列者もみんなごちゃ混ぜでステージ立って踊ったりもします

みんなでカチャーシーって踊りをするんですね。

それはそれは楽しかったです。


沖縄にきて一番に思うことは。
僕みたいな人ばかりだなぁ。って

イチャリバチョーデーって言葉がありまして、
出会えばみんな兄弟

的な意味らしいんですが、

僕もほんとそんなふうに思って生きてるんでね。

生徒と先生は、
友達じゃないからね、兄弟じゃないからね

そう考えなきゃ行けない場面に出会うと僕はいつも一時、フリーズしますね。w
難しい。とても勉強になるけど難しい。w

お仕事というのも実はそういう意味でとても苦手で
歌で生きていきたいと言う気持ちと逆をいくように、

音楽でみんなと笑い合えたらいいのになと、
あまちゃんな綺麗事も自分の中にありまして
でもやっぱりそれでは生きていけないので、
こうして、一つ一つ感謝しながらギャラをいただき、
歌や音楽を通して生きていけてるわけですが

照屋政雄さんの言葉が沁みましたね。

『聴いてくれる人がいたらそれだけでいい。
それだけで嬉しい。だから僕はお金はない。
でもお金はマネージャーが持ってる。
追えば逃げるから、追わなければ勝手にくるから、
とりあえず、今日も困ってはないし、
目の前の人に歌を届けたい楽しく歌いたい』

みたいにおっしゃってて、

いいなぁ。
東京ではそういうわけにもいかないけどいいなぁ。
そんなふうに思いましたね。

エンタメってそもそもそういうものだったりしますもんね。
提示できる最高のエンタメに、
評価してくださるリスナーさんが、
お金を出してくださる、
それだけの話ですから


僕は今何を話してるのかよくわからなくなってきましたから、ぼちぼち終わりますが。


照屋さんは、日本語ではなく、
うちなーグチで今でも歌ってくれたりする、数少ないアーティストです。

これを機会に皆さん、日本語ではない、
琉球王国という国があったことを感じて、うちなーグチの歌とか聴いてみたくないですか?


故郷を思う沖縄の皆さんを感じれば感じるほど、
北海道の故郷が愛おしくなる、そんな僕でした。
明日からも故郷を思って、やれることをやろう。歌える歌を歌っていこう。

右とか左とか、僕にとっては本当にどうでもよくて、
故郷を思うこと、それこそが、
自分の親を思うことや先祖を思うこと、
そして未来を考えていくことに繋がるように思ったりします。

これからも皆様が平和でありますように。